教授と呼ばれた男

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エンニオ・モリコーネが亡くなったことをきっかけに、なんだかジュゼッペ・トルナトーレ監督作品が観たくなってきた。せっかくならまだ観たことのないやつにしようと思い、長編処女作の「教授と呼ばれた男」をTSUTAYAディスカスでレンタルしてみた。

クレジット:

原題:IL CAMORRISTA / The professor

監督:ジュゼッペ・トルナトーレ

原作:ジュゼッペ・マラッツォ

脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ、マッシモ・デ・リタ

撮影:ブラスコ・ジュラート

編集:マリオ・モッラ

音楽:ニコラ・ピオヴァーニ


最近めっきりウンコになってきた記憶力や文章力を少し鍛えるためにも、あらすじは自分で考えて書いてみることにする。

あらすじ:

事の発端は主人公が姉ロザリオと一緒に通りかかった酒場で起きる事件。1人の酔っ払いがロザリオにセクハラをはたらき、ブチ切れた主人公は彼をメタメタに殴って殺してしまう。主人公が殺人罪で服役する刑務所にはすでにドン・サヴェリオというビッグネームが幅をきかせていたが、彼は持ち前の知性とカリスマ性で急速に周囲の囚人や看守までも自分の味方につけていき、たちまち「教授」と呼ばれ大人数の取り巻きを従える立場にのし上がる。教授の強力なネットワークは刑務所内にとどまらず娑婆にいるロザリオを通じて外界にも広がっていき、ついに手下を使ってドン・サヴェリオを暗殺した教授は犯罪勢力「新カモッラ」のドンとして君臨し、裏社会の強力な一強になり変わった。その後も巧みな計画と手下たちの助けで教授は脱獄に成功し、政治や警察も思うままに動かしながら繁栄の一途をたどるが、元々その地域をしきっていた勢力である「旧カモッラ」は教授の命と組織の撲滅をつけ狙う。ついに教授の隠れ家の特定に成功し襲撃をかける旧カモッラだったが、腹心の部下アルフレードの機転により警察の邪魔が入り、教授は一命を取り留める。しかしこの一件によって教授はアルフレードを裏切り者と誤解し、手下に処刑を命じてしまう。誰よりも教授を崇拝していた強力な僕のアルフレードを失った新カモッラからは裏切り者が続出し、教授の右腕となって組織を支えていたロザリオも疲弊してしまう。そして教授は栄華の頂点から破滅へと転落していく...


感想:

というわけでおじさんがマフィアのドンとして成功&凋落するまでを3時間という長尺で描いた叙事詩でございました。 長かったけど映像がきれいだしマフィアものにしては登場人物や台詞も少なくてわかりやすいし、最後まで面白かった。 どのシーンも面白いけど、中でもドン・サヴェリオの暗殺後に取り残されたNo.1の手下が刑務所内で教授の手下たちに殺されるシーンがものすごかった。

教授の手下が取引にやってきて、握手…と思いきや殺害したドンの手を握らせる。 f:id:omochinobinobi:20200719210358j:plain お前のボス殺したから、これからは教授の時代ね。教授側につかなかったお前は終わりね。ということを、一切セリフはないんだけど、この人は一瞬ですべて悟るんだよね。悟ったとたん、中庭にたたずんでこのやりとりを傍観していた囚人たちは順に黙って背を向けていくのね。そしてこの人はおなかをブスブス刺されて死んでしまうんだけど、このシーンの間ずっと響き渡っている物哀しい歌声の主であるロン毛のお兄ちゃん(字幕の日本語がオネエ言葉になってたから、そうなのかな?)だけが一部始終を見届けているんだよね。ほんとにすごいシーンだった。 f:id:omochinobinobi:20200719210354j:plain この時すでに、ドン・サヴェリオにいつまでも付いていたのはこの人だけで、それ以外はもう全員教授側に付いていたということがわかってゾッとするよね。 f:id:omochinobinobi:20200719210331j:plain

この映画についてgoogle検索すると「あの『ニューシネマパラダイス』のトルナトーレ監督がこんなバイオレンスムービーを!?」みたいな紹介文とかコメントが多いんだけど、ジュゼッペトルナトーレってわりと普通に暴力とか過激な性描写多くないか…?

あんまり監督について知らないので、「らしさ」とかこの映画が彼の原点としてどうだとかいうことは分からないけども、 とにかくマフィアものファンじゃなくても大いに楽しめる一作でした。おわり。

写真について

昨日印象的な出来事があって、いろいろ考えたのでそのことについて書いてみる。

写真について。


前提1.

ここ数年、前ほど写真を撮らなくなった。 人に見せてネタになりそうな面白いもの・変なものに関しては話は別で、綺麗なものがあったりこれは良い思い出になるなと感じる瞬間のこと。そういう時に携帯やカメラを取り出して写真に収めようという気があまり起きなくなった。 なんだか「それを自分の目で見ている今この瞬間」をなおざりにするような気がし始めて。 それから、ベトナムで生活している時に、「日本人の自分には物珍しいけど自分以外の全員にとってはごくごく普通の状況」をカメラでパシャパシャ撮って記録するのがなんだかせっかくある程度溶け込んでいるところに自分をあえて輪から疎外する行為のように思え始めた。あくまでも私は地元に馴染んでいるんだ!と思いたくて、自分を"ただの観光客の地位に貶める"のが嫌だったのかもしれない。 そんなこともあって、旅行先でも何か見ているものをプロフェッショナルなカメラはおろかiPhoneとかの世界にカジュアルにいい感じに収めようとする行為がなんだかおこがましいことのように思えてきた。 なので、一緒にいる人がそれに熱中しているとそれもエゴに思えて「今あなたがやっていることって、今この時間を『一緒に同じものを見て楽しみを共有している』のをやめて『自分がいかに"イイ感じの"写真を撮って満足するかタイム』にしていることだよね!それって自分勝手!」と勝手にプリプリしたりするようになった。

前提2.

これまで人がちゃんとしたカメラでちゃんと撮った写真を見た時に感じるのは2パターン。

1つ目は、プロやプロ並みの写真家が撮ったのを見た場合。「ああ、さすがプロだから/腕のいい写真家だから/アーティストだから、これは高度なテクニックや知識とアーティスティックな視点によって作られた高クオリティの写真なのだ。その技術がすごいなあ、そしてそれによって撮られたこの写真はきれいだなあ」という素直な感想を抱くこと。なんというかオリンピックでアスリートが人間離れした技術を見せたりものすごく速く走る・泳ぐなどするのを見たり、テレビや映画や舞台で超美しい人とかを見て純粋に「すごい!きれい!」と感心する感じ。なのでSNSでそういう人の写真を見たり写真展とか行ったりすると楽しいし展示された作品を見て素敵だと感じる。

2つ目は、別に撮影者は特段プロでもテクニシャンでもないけど被写体自身が素晴らしい絶景だったりする場合。山奥で撮られた満天の星空とか、南国の真っ青で美しいビーチとか、見事な建築物とか、そういうのを見ると写真という媒体の存在を意識することなく、純粋にその被写体自身に対して感心して、おお!こんな素敵なところに行ったんだ!よかったね!と祝福したり、そこに自分も行ってみたいな!と思ったりする。


...というのが自分の写真へのスタンスだったので、正直そもそも自分は写真というジャンルにそこまで感動するタイプでもないんだろうなという感じだった。

が、昨日同僚の撮った写真を何の気無しに見せられるがまま見ながら「いいねーいいねー」と無難に褒めていたら、今までと違うことが起きた。その人は旅行が趣味(よくある)で東南アジア諸国バックパックで旅して回って(よくある)ほうぼうで写真を撮っている(よくある)という普通の人なんだけど、香港とミャンマーベトナムで撮ったという、何気ない日常や田舎の道端で出会った現地の住民や道中一緒になった旅行者の写真を見ていたら、そして写真に映ってる見知らぬ人たちの笑顔やあどけない表情を見ていたらだんだんなんだかものすごく胸が熱くなって、本当にいいなと思って、感動してなんだかドキドキしてきて、しまいにはなんと涙が出てきたのだった。なにか特別な感動的エピソードを添えられたりしたわけでもなんでもないのに。

「いい写真だったからその写真に感動した」というほど単純でなくて、その人がシャッターを切る前後の被写体とのコミュニケーションとか、ファインダーを覗いてる真っ最中この写真に映ってる人はこういう動きをしてたんだろうか、こんな事をしていたんだろうか、とかそんなストーリーが生き生きとしたイメージを伴って浮かんできて、それに対してなんだかものすごく高揚した感じ。

賑やかに暖かく交流してる家族とか友人とかそういったものを見て、突如よく考えたら見知らぬ地に一人でいるゆえのホームシックが呼び起こされたのか。 東南アジアの雰囲気を見てベトナムでいろんな人に優しくしてもらったことを思い出したのか。 旅先で撮る写真が思ってたより良いものだって気づいてカルチャーショックを受けたのか。

上記はどれも多少なりとも当てはまると思う。

でもやっぱりもしかしたらその写真を撮った同僚の生き方を瞬時に自分と比べたのかもしれない。今の自分の直接的に孤独な状況と、おそらく日本に帰ってからもそうであろう非社交的で省エネな生き方と、旅とか旅先での出会いにそこまで重きを置いていない自分の嗜好と、体験したことをできるだけ生に近い形で記憶に留めることを放棄している自分と、比較して、ああ自分って知らない間に多くのことを見過ごしてたり見ないようにして生きているなって思って、そんな自分を批判したくなったのかもしれない。

真相は不明だし別にこれ以上分析することに意味も価値もないけど、 とにかく自分でびっくりしたし、ここしばらくかつては過剰だった自意識がしばらく影を潜めていたのを久しぶりに色々考えたので、とりあえずこのことは文にして残しておくべきと思ってわざわざ書いてみた。

2017年と2018年について

年末謎の熱が出て寝込んでいましたが、大晦日のきょう、ようやく起きられるようになったのでなんとかまともに年越しを迎えられそうです。ギリギリ最低限の大掃除もやりました。

仕事・プライベート・自分自身について、それぞれ今年の振り返りと来年の抱負をつらつら書いてみました。 前半6ヶ月ダナン、後半6ヶ月東京でしたが実に体感3年ぐらいの1年でした。

1. 仕事

■ 2017年の振り返り

入社5年目、web/アプリ開発関係の仕事になってから丸2年半、ベトナムという国に携わって丸1年半。 触れたことのない世界に触れ、新しい自分の良い面悪い面を発見しつつ、やりたかった業務ができてちょっとずつ見える世界が変わってきた一方で、目前のスケジュールに追われ職場と自宅を往復しながら、自分単体はやはりただ無力なウンコのままであることに漠然と焦り続けるという年だったように思います。

■ 2018年の抱負

ここ3年ぐらい、或るテーマ自分の中にずっとあるんですけど、この1年は最優先でやるべきことをやるとして、そのテーマに対しては、付かず離れずしてみたり、周りをぐるぐるなぞってみたりという感じでした。 2018年は上記のテーマと真っ向から向き合ってみます。

2. プライベート

■ 2017年の振り返り

今年に入ってからついにCDやDVDの類を1枚も買わなくなりました。メディア革命の年。 そして、何より2017年は趣味のアンテナが死んでいました。

好きだったはずの読書とか映画鑑賞とか、趣味で勉強してたこととか、それらすべてに対して一切食指が動かなくなってました。本のページを開いても1行も読み進めなかったり、観たかった映画の再生ボタンひとつにしても押せなかったり。ほんとにびっくりするほどできない。そんな自分の怠惰っぷりに嫌気がさすも、しまいにはネットサーフィンすらできなくなってました。

年間を通じてちゃんと休みはあったし、環境にも人にも恵まれ、「休む」「楽しむ」という行動は取れていたので物理的なワークライフバランスはちゃんとしてたんですが、無自覚のうちに精神面のバランスがどうもうまく取れていなかったらしい。 結局、慣れない環境とか仕事の反動がそういうところに来たのをズルズル引きずってしまったのかなと思いますが。こういうのも上手く調節できるようになりたいものです。

■ 2018年の抱負

死に絶えていた知的好奇心が最近ようやく復活のきざしを見せはじめている感じがするので、まだ観たかったけど観てない映画とか読んでない本とか積極的に着手していき、趣味を充実させます。 あと、最近ペンタブを買ったので無意味な駄絵ももうちょっとたくさん描いていきます。

3. 自分そのものについて

■ 2017年の振り返り

ベトナムに行って帰ってきたら6キロ太りました。あと歳のせいか肌質とか体質も変わりました。 運動不足のアラサーの恐ろしさ、どうにも自力で痩せられなくなったので今月からジムでトレーナーの人に教わりながら筋トレ始めました。暗闇ボクシング(b-monster)とかも行ってみました。今のところ2キロぐらい落ちました。

■ 2018年の抱負

数値の目標はないけどとにかく筋肉量と基礎代謝を上げて、まずは腹囲をベトナム行く前に戻します。そんでもって腹筋を割ります。


とりあえず当たり障りのないことだけずらずら書きましたが、あと2週間で28歳、30代へのジェットコースターが加速を始めたなか、「マジでどうにかしないと」ということがまだまだ他にもたくさんあるので、新年から心を新たに頑張っていきたいと思います。

喪中のため派手な新年の挨拶は控えますが、お世話になったみなさま1年間ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。

ベトナム語の勉強を

週に1回、FBで出会った女の子にベトナム語を習っている。 最初は遊び半分だったけど、半年間ベトナム人に混じって仕事をしていたら本格的にベトナム語が話せるようになりたくなってしまった。 が、やっぱり週1のレッスンはあくまでも実践の場であって、やっぱり自分で語彙を増やさなければいつまで経っても話せるようにならないと気づいたので、自分なりの方法で語彙を増やす努力をし始めた。

単語帳かネットの記事を使っていくことになるけど、単語帳に乗っている基本の言葉を片っ端から覚えていくのはなかなか難しい。 なぜなら当然のことながら今の自分に全く縁がない、下手したら駐在中に一度も使わないような単語もたくさん載っているからである。

取り急ぎ、単語帳でもネット上でも人から聞いた言葉でも道で見かけた看板でもなんでもいいからとにかく新しい単語を拾っていって「1日何個ずつ 」と決めた数の単語を覚えていくことにした。

ノートにひたすら書くでもいいんだけど、それだけではつまらないので、なんとなくこんなことを初めてみた。


slackに画像をアップして覚える

slackにベトナム語チャンネルを作ってみた。 物の名前とかを新しく知った時に、写真を撮ってアップして、さらに関連エピソードとかどんなシチュエーションでその単語を知ったかとか、そういうプラスアルファの情報を付け足してみたら後から見返しても楽しくて覚えやすいのではないかという魂胆。 最近日記的なものをslackでつけ始めたからその延長線でもある。 一定期間でログ消えちゃうしどうなのっていうのはあるので、実験的にやってみた。

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(調べてたら花言葉とかも出てきたからどうでもいいけどついでに載せる。関連して知っている単語とかもあればコメントでつけてみる)

イラストつきで例文を作ってツイートしてみる

無駄にイラストをつける。 f:id:omochinobinobi:20170201181738p:plain f:id:omochinobinobi:20170201181740p:plain



激しく時間の無駄な気もするけどこういう無駄なことが昔から好きなんだよな…

ベトナムのおいしい麺類

ダナンで出会った麺類について書く。

Bún chả cá f:id:omochinobinobi:20161204160955j:plain 麺はブン(米でできた細いやつ)
トマトとか野菜がたっぷりはいった赤っぽくて酸味のあるスープに胡椒が効いた魚のすり身がボンボン入っている。
パイナップルが入っているとハッピー。おいしい。写真は拾い物。


Bún riêu cua
f:id:omochinobinobi:20161204161003j:plain 同じくブン
スープはブンチャーカーの味に似ているが、カニ(cua)のすり身が入っている。
言うまでもなくおいしい。写真は拾い物。


Bún bò
f:id:omochinobinobi:20161204163424j:plain 同じくブン
牛肉(bò)と言っていることから明らかに牛肉が載っているべき料理のようなのだけど会社の近くでbún bò chả cua(魚のすり身)を頼んで「肉なし!」というと肉嫌いの私にうれしいブンボーが食べられる。同僚には「それもはやブンボーじゃないじゃん」と言われる。上の二つより牛肉のだしが効いているとかそういうことなのか、よりコクとか旨味があっておいしい。


Bún chả Hà Nội f:id:omochinobinobi:20161204164058j:plain 同じくブン
濃いめの味付けのスープと麺が別々で出てくる。スープにはカリカリに焼かれた炭火焼肉とつくねみたいなやつが入ってきて、麺をスープにつけて食べる。 肉が嫌いなので、一緒にいる人に肉を全部あげると具なしスープ+麺+生野菜(レタス、もやし類)のみという寂しい料理になるが、それでも全然問題ないぐらいこのスープがおいしい。会社の近くのところは替え玉25円。


Hủ Tiếu
f:id:omochinobinobi:20161204161941j:plain 何なのかよく知らないのでwikipediaより引用:
ベトナムでの麺料理は、外国人にはフォーが著名であるが、フォーは本来北部ハノイが本場であり、南部ではこのフーティウがポピュラーである。フォー、ブンが生麺で販売されるのに対し、フーティウは通常、半乾燥麺として販売されるためコシのある食感が楽しめる。』とのこと。
おいしい。写真は飲み会の後に屋台で食べた締めラーメンならぬ締めフーティウ。 汁なしフーティウも存在するらしい。食べたい。


Mì Quảng f:id:omochinobinobi:20161204162340j:plain 麺は幅広の平打ち麺。
汁なしで、日本では食べられない独特な味付けの魚肉が載っている(激ウマ)のにライムをギューッとしぼってまぜまぜして食べる。
おせんべいみたいなのがついてくる時とついてこない時があるけど、ついてきたらバリバリ割って入れてまぜまぜする。おいしい。写真は拾い物。


まだ食べたことないのは、「ブンマム」(強烈な匂いを発するエビの発酵調味料マムトムを使う汁なし麺)とか、「ブンラム」(ひき肉がいっぱいのっているやつらしい)、大好きしじみスープご飯「コムヘン」の麺バージョン「ブンヘン」などなど。

ちなみにマムトムは確かに匂いはきついけど、いかワタみたいな感じで日本人にも馴染みのある感じ。 ちょっとスープに入れると一気にコクが増しておいしくなるので好き。

以上、麺についておわり。

これまでのあらすじ

7月頭にオフショア開発の仕事でダナンに来て丸2ヶ月が経ったわけだけど、こんな感じだった。
f:id:omochinobinobi:20160911114347j:plain 7月:
ワクワクドキドキ、仕事も生活も新しいことばかりでフレッシュな毎日^0^

8月:
- 毎週家族やお友達が日本から遊びに来てくれた。信じられないことに8月全部の週末にホイアンに行った。
- バイクに乗らないのとベトナム語が話せないのと土地勘がないのとで想像以上にうまく生活ができないことを思い知る。
- 仕事がろくにできていないことがだんだん明らかになってくる。

8月末から9月頭にかけて:
- 仕事ができなさすぎて多方面に迷惑をかけ始め、自己管理含め何ひとつ満足にできなくなる。
- ハイパー自己嫌悪タイム。
- 体調に異変があらわれる。

仕事ができないことについては当然さっさと原因と課題を分析して対策を講じるべきだったんだけど、どうしていいか分からない→社会人4年目にもなってなんで自分の問題も解決できないのか→悩むわりに全然うまく手が動かせない、の負のループを離脱できず

休みの日があっても、暑いのと地理が分からずどこへ行っていいかも分からないために外出する気になれず、ひたすら家にこもってて、気分転換がうまくできず

とにかく時間を有意義に使えていなかった。。

仕事の一部に区切りがついたのと、ベトナムで使える携帯を購入して道端でも地図が見られるようになったことと、体調が改善し始めたことで初めてまともに「あいた時間を作ってこういうことをしよう」「こういうところに行ってみよう」とか「これを勉強しよう」という気持ちを持てるようになった。よかった。

せっかく夢の海外勤務・オフショア開発ブリッジ業務をやれているんだから、気持ちをリセットして残り10ヶ月弱、後悔しないように過ごしたい所存!